なんだかんだやっぱり、女性に憧れていたからだと思います、仕事の理由。
私はホステスとして、主に銀座に出勤しています。
在籍しない派遣ホステスです。
はじめは「ホステスにも派遣があるんだ」、と、知りませんでした。
名刺は持たず、同伴もアフターも同様お客様と基本的に個人的なやり取りはしない、店舗のママや店長が契約上のお客様というものですね。
店舗は契約によって赤坂・六本木ナド色々あるようです。
頻繁に接触する人が変わると大変そうとも思われますが、自分はその方が性に合うような気がしています。
私は大学に進学しても企業に就職して働くイメージが持てず、
二十歳を過ぎる頃になっても、具体的に何がやりたいのか考えていませんでした。
企業に就職することが嫌だったという理由もあり、大学院へ進み、大学に籍を置いてそのまま研究を続けて通常なら就職するようなところを、
教鞭を取るようになるのもありなのかなとおぼろげに思う程度で、研究が楽しいから続けるためにその路を検討しようとした、というのが実際でした。
大学と合わせて学生生活は計九年に及んで、
けれど楽しいと思っていた研究も途中から全くそう感じなくなって、
所謂、鬱症状だったり、消えてしまいたいと何となく刃を当てるような状態を経過して、人間関係がもっとも大きな決め手となって
私は蒸発するようにそこを後にしました。
後味がどんなものだろうと構わないから、とにかく離れよう、形式的な手続きはとれたのでもう考えたくないと思いました。
また、学生生活と平行して一年ほど勤めていた大学図書館を後にする頃、
ホステスの仕事は、当時は思うようにシフトが入らず、実質的にほとんどしていませんでした。
収入の確保に世の風習に倣って就活をしてみたのですが、
ほんとうはやりたくないと思いつつ、それでも「一度やってみれば次第に気持ちも変わるかもしれない」、と、本音を抑えていました。
お座敷に勤めた経験で飲食業界に入ったのですが、社員として働くにはもちろん、アルバイト形式の雇用だったとしても続かなかったなと、
職場は良い方々ばかりでしたが、想像以上にキツい生活時間が身体にすごく応えました。
私はまず体調を元の状態に整えることに一ヶ月専念して、それから再びホステスの仕事に戻りました。
なんだかんだ好きな仕事で、そのとき思い浮かぶのは他になくて、
世間体や、在籍するか否かとか、考えていませんでした。
私は自分の好きだと思うことをしてお金をもらいたいと思いました。
好きなことをしてお金を得るんだ、だから、その小さな小さな一歩だったと将来の布石にしたいと思っていますし、
最愛の祖母が、60年前、花形だった西銀座デパートに勤めていた話しをよく聞いていたことも銀座に行ったきっかけでした。