幸せになるために生まれて、愛されるために生きる、真摯にそれを思う。

前回からずいぶん間があいて「向いてないのかな……」、面倒で続けられないと思ったものの、ゆっくりで良いから、

 

やっぱり自分も、人に伝えたい何かを発信していけたらいいなと思いました。

 

その何かっていうのは、たとえば「幸せになりたい」、

もっと言えば日々に散る幸せに、もっともっと気づけるようになりたい、

 

幸せなるために生まれてきたんだと素直に生きることの素晴らしさです。

 

 

何かをするなら、その際の目的意識を持つことが如何に大事か、ということを実感することができたという意味で

 

ブログも大事な作業なんだと思い直しました。

 

 

 

 

 

 

 

私は人付き合いが苦手でドライに映ったと思われることも多々あったけれど、

 

派遣は大学に入って約半年後に、コンビニのレジスタッフとして都内を回ったことがきっかけでした。

 

いろんな店舗に行けばいろんな人に会いますから、当たり前に毎回が初対面でしたが、

 

もしかすると最初で最後の出会いかもしれないから嫌なことがあっても大丈夫と思えたせいか、学校とは違った環境に抜けない肩の力が抜けたことで、気持ちはとても楽でした。

 

 

高校の時に固定で働いたときは、お客さんに異性として目をつけられて(?)付きまとわれることはなかったけれど、何となく恐く思ったこともあって、

 

 

やりたくない時には休めるランダムなシフトもよくて二・三年続けました。

 

 

他にも披露宴の裏方だったり力仕事だったり、オフィスワーク以外色々やりながら、

 

袖すり合わせる程度の出会いを多くしたことが今の接客にもつながるのかなと思うと無駄じゃないと思え、

 

良いように意味を付けられると、自分の愛しい過去として愛でられます。

 

 

 

 

帰宅するときに、今の時期は心細くなる日があります。

 

身体が寒気で強張ると、物理的に閉塞的な姿勢になるのもひとつです、

 

 

タクシーに乗り込みますが、そのときは、これが愛しい彼だったらと意図せず考えてしまいます。

 

 

疲れていたら迎えなら誰でもいいとは少し違っていて、むしろ、疲れていると尚更そういう人がいいと思いますから、ドライバーがもし嫌な感じだと、泣いてしまいたくなります。

 

 

かけがえのない相手とするからこそ意味のある関わりを通して、恋愛という人間関係の深さを知って、

 

 

自分にとっても大切な人から愛されるその実感を、頭だけじゃなくて、心から感じたいって思っています。

 

 

幸せの内実を考えた上で、自分を幸せにするために何でもする、

 

まだ私は自分にとっての幸せな人間関係が、どんなものかうまく考えきれませんが、

 

 

その気持ちを諦めきれないとだけ分かったから、泣いても、本当の意味で辛くはありません。

 

 

愛されるために生きているんです。あなたも私も。