好きの感情も、あなたの心も身体も、だって大事だから。

自分の気持ちといっても、自分のことだけれど、それがよく分からないことありますよね。

 

以前、久々に顔を合わせた知人たちと食事をしていて話題が恋愛に移った際、

 

「好きってなに?」と誰かのヤキモキした様子の発言で、言われてみればほんとうに何だろうとその場の皆で考えたことがありました。

 

発言した彼女は恋心に浮かされているうち、本当に好きなのか自分の気持ちがだんだん分からなくなってしまったというのでした。

 

 

 

私は血のつながりのない誰かに愛されたいと思っていましたが、表向きには一人でも平気、寂しさなんて感じないし、恋には入れ込めないという態度でした。

 

でも、愛されたいという内実がどんなものか、これっぽっちも考えていなかったので、

 

願望はあいまいなままですから実現しないのも当たり前ということに気づけないまま、

 

いつまでも心の奥は欲求不満でした。

 

 

 

他方で、あるとき大学でゲスト講師を招いた講演を聴講し、後日そのとき感じたことをワードで書き綴ったことをきっかけに

 

とにかく自分の内に湧いてくるものをアウトプットする(文字にする)と、気持ちが落ち着いて、

 

 清々しいというよりも、熱が引いて平静になる感覚で趣味の掃除と同じ要領の心の整理整頓でした。

 

その後はワードから直に指を使って書く効果を実感して、今も続けている習慣はノートに気持ちを綴ることでした。

 

 

 哲学的に「好き」自体を何かを考えるよりもさきに、好感という感情が湧く、自分が人を好きになる場合のこと、その理由を考えるにもノートはとても有効で、

 

恋愛で言えば、異性に抱く感情の類いはすでに自覚していることが多い。けれど

 

余計な観念を以て、純粋な気持ちのみに従うことをしない従えない人も多いかも知れません。

 

 

  

そんな時に思うままに書き綴る、そうすると、

 

本当に思っていることが何か少しでも

 

自分で自分に明確化される、自分でも気づいていない気持ちを

 

自分の為に呈示する。

 

 

本当の気持ちや願いに気づいたからそれが必ず成就するという話しではなくて、

 

まず自分で気づかなければ成就も何もないということですよね。

 

 

 

 

ずっと私も寂しいからと誰かを好きになろうとしました。でもそんな恋を望んでいないことは自覚しているんです。

 

とうとう寂しさに立ち向かうのが辛くなってしまった頃は、望んでいない気持ちに蓋をして「誰でもいいと思う」と思い込もうともしました。

 

  

でも、望まないセックスに身を委ねることだけはできなかったです。

 

 

女性にとっては、当たり前なことだと思いますか。

自分がしてもいいと思える人だけとすべきです。

 

私はコンプレックスが強くて裸を見られる抵抗感から死守できた面もあります。

 

 快感を追うだけでないからこそ。

与える相手を選別すべきなんです。

 

 

 

本当に好きな人、かたちかにこだわらずもこの先も関わっていたいと思う、寂しいの誤摩化しでなく。

 

私は、貴方にはそういう人だけに許してほしいと思っています。

 

 

そういう人に許してください。