彼は自分の魅力の一部として、成り代えられるものですよ、肥やしだから
自己主張と聞くと、どういうものをイメージするでしょうか。
私は人に意見を述べることに気が引けてしまう方でした。
誰も見ていないとか、あるいはみんなしているからとか、そういう理由でたとえば赤信号の路を渡ることはできないし、
家族には自己中とよく言われていましたが、
気づかずに“周りに流される”ことはたくさんありました。今も探せばあるでしょうが、今お話しするのは、異性として好きな人に「口ごもり状態」になるのが、実はお互いにとって本当によくないということです。
自分に向き合わずその価値を認識できなかった私は、当時、心寄せていた彼に抱く不満をひとつもぶつけませんでした。
二周り年上で、出会った当初の彼に私はすんなり近づくことも抵抗なく、きっかけを通してからは、数ヶ月毎週のようにランチをごちそうになっていました。
ようやく自分の恋愛対象になる人と出会えたと思えて嬉しくて、そうして、
クリスマスはデートに誘われて、当日アクセサリーのプレゼントも申し出てくれました。
腕を組んで、イルミネーションを見ながら帰りは遠回りに歩いていたのですが、でも唐突に私は不安が胸に込み上げてきて、「こんなこと続くのかしら」、と思いました。
運やタイミングも徐々にすれ違っていき、この不安は実現して、彼との最後は良いものではありませんでした。
心に不満を溜め込んでしまって、図らずも私は彼にいわゆる爆弾メールを送っていて、その瞬間はまるで何かに取り憑かれたような感覚でいました。
だけど私の方は、たとえこの彼が私を嫌いでも、彼を嫌いになったり、恨んだり、そんな風には思っていません。
ふたりの関係性が降下した理由のひとつは、冒頭のように、私が彼に何も主張しなくなっていったことです。
気持ちが落ち込むと、つい誰かと連絡がとりたくなるものですが、そんな時に相手のことを思っても、向こうの忙しさを理由に連絡するのも引けてしまう、
私の場合も数ヶ月後に会えることがざらで、返事はくれるけど、向こうからの連絡は来ないままでした。
なんで放置するんだろう、や、私のこと本当はどう思っているんだろう、と、
よく思っては悲しくなりそうな気持ちを、見ないようにすることもよくありました。
いま振り返ると、彼は男として役立つ機会を設けられず、私は私で女として正当な要求をしていなかったので、互いにちっとも気持ちを深められず終いでしたし、
自分の心が、自分が心から奇麗であれない人の傍にいても、だめなんです。
自分の為を思ったらだめなんです。
彼に直してほしいところ、してほしいことがあれば、はっきりと伝えるべきなんです。結果的にも互いの為になるんですから。
彼に会いたいのは「寂しい」からなのか、それとも元気を出すためなのか、相談したいことがあっても会えないことに余計に虚しくなる、
そういう時にどうしますか。
会えなくて寂しいと素直にいえますか。
連絡の頻度も、メールの発信も、彼の気持ちを言葉で聞くのも、
自分が本当は思い描く理想を認めて、その実現のために努力できますか。
その理想に一歩でも近寄ることに注視することが、自分を大切にすることになるんです。
大事なことを教わりました。
そうだと気づくと、彼に執着している気がふっと溶けていきますよ。ステップアップだったんだって。
その人と離ればなれになっても、もう会う気がなくなっても、その彼は記憶として、自分の魅力の一部に成り代わるものですよ。