笑顔の奇麗さを知ると、驚くと思いますよ、それが自分です。
自分って何かと子どもに尋ね、「自分は自分」という答えが返ってきたのを今でも覚えています。
自分って最も身近な未知のようなものだと思ったのは、ごく最近です。
自分で自分のことに真剣に向き合い、考えてはじめて分かることは、自分のことなのによく分からない、感情や欲求をあいまいにしか捉えずにいなかった
その感情や欲求というのを、自分の心の声として捉えられるかどうか、というものでした。
私は10年以上も夜な夜な泣いていました。寂しさだけそこにありました。
たとえば怒ることも、潜在的に、感情が乱れるのは駄目な人間という風に考えていたと思いますし、
恋に“なんか”、と、熱を上げることも出来ませんでした。
本当はしたいのに、自分で認められずにいながら、心から羨ましいのにやせ我慢していました。
彼に愛されているように映るものだから、その彼女たちの明るさに
自分はかすれるような気がして恐かったです。
ふと彼女たちを思い出す時は、いつも決まって笑顔が記憶に留まっています。
自分の笑顔を知っていますか。
それが、どれだけ奇麗ものか、多くの女性に気づいてほしいんです。
私の主張なんて誰も耳を貸さないし、批判されたら嫌だからと口を閉ざすのはもう嫌ですから、
今の私なら、「おはよう」と挨拶するときの顔を自分で知れたら、どれほどの女性が変わるきっかけになるだろうと感じてますし、
笑っているだけで価値があるそれは、必ず女性のものです。
自分の顔を鏡に映して注視すると、どんな気持ちになるでしょう。
泣いていた当時の私の場合は、まるで男性のように見える、男のように感じる、
困難や辛いことがあっても、本音や本当の気持ちを限界まで耐え忍び続けて生きようとするからで、
そういう態度は、まるで男性のものだからです。
女性らしい生き方、考え方ではない。
その映し出されている姿は、自分が普段どのような思考回路かによって、どう感じ感じられるかが定まるんです。
もしも現実が辛いと感じるなら、真剣に考えてあげてください。
笑顔を知るべきです。