心から愛する人と出会い 自分を愛する喜びを知り 愛する人に愛される幸せを感じること
同じ県内の実家から離れ、新しい暮らしが始まって二ヶ月目になりました。
一年前はまだ私は学生で、院生最後の年だったけどまったく研究生活とは無縁だったと思います。
春も終わる頃に、世間の声に乗って、本音は好きじゃない就職活動してみたり、
反対に面白いと思っていた派遣の仕事は辞めて、それも本当は、
向き合うべき自分の課題だった他者との関係性から結局逃げた結果のことでした。
学校を後にした私は社会的に無所属になったことがきっかけで、それまでずっと抱いてきた気持ちを、実際けれど言葉にしてこなかった本望を、明確化した最初の意志は
「心から愛する人と出会い、自分を愛する喜びを知り、愛する人に愛される喜びを知ること」でした。
泣く夜の連続に飽きてしまったし、やっぱり苦しい。
誰かを信じたいし、人を好きになりたい。
いのちの大切さを感じて生きたい、
自分は生かされてるって本当はどういうことなんだろう、知ってみたい、と、私は
恐れから、あるいは自分への無頓着からか、知らずにいるままの世界の広がりと向き合うためにまず“自分を大切にすること、愛すること”を模索しました。
嫌われるのが恐くて他人を好きになれない、傷つくのが嫌で人と関わりをもてない、
こうして考えてモヤモヤすること既に面倒くさい、
表現するとなんて現代特有だろうと思うのですが、当時は間違いではなかったこれらの気持ち、
このブログを紹介してくれた方(改めて紹介させて頂きますね)とコンタクトを取って、喝を頂いたことで、私は自覚以上に私自身を蔑ろに扱っていたことを目の当たりするんですが、
この日を境に、人生は責任の意識次第で、可能性も含めてつくることが出来ると知って、
私は猛烈に(ふふ)自らに興味がわきます、
そして自分は、自分のことについて驚くほど多くを知らないことを体感します。
何やどんなことが嫌で、何や、どんなものごとが好きなのか、分かっているようで、真剣に考えないと分からないことだったんだ、
自分という対象も他と同様に向き合わないと分からないんだ、と気づいたんです。
私には意図せず環境の変化が訪れて、これを機に来る日も来る日も気持ちの本音と向き合うようになりました。
私が自分を知るために、私が自分を幸せにするために、私は私のためにできることをしてあげるだから貢献する、力を尽くす、あの不安から辛くて逃げたくなっても、
ゆっくりとでいいから、ちょっとずつ自分の心に配慮する、その積み重ねと習慣が自分を大切に扱うことの一歩ですよと教わったのです。
そうして、私は自らの存在は、可能性そのものだと思った、
衝撃的なことでした。