お生憎様、不安もノビしろですからね、私。
小学生の頃に顔に思春期ニキビが目立ってきて、中学生の間がピークでした。
当時はオデコにたくさんできて、比べるとひどい方だったと思いますが、理由はありませんが前髪で隠すことはしませんでした。
徐々に年齢と共に顎の方になるのですが、私は高校に上がる前から、それが背中にもできるようになりました。
ちょうど、ストレスで十二指腸潰瘍を患うのも同じ頃で、大学に入る頃には無月経やら、酷い食中毒やら、当時は散々だったと一丁前に振り返りますが、
「もう泣いたりする必要ないんだ」、と、
自分の未来は描けるものだと信じることに舵を切って、
幸せになるために、愛されるために、生まれたんだと意味付けるために
自分のためにできる限りを尽くすことを、選びたいと思ってからは、瞳の光り方が一変しました。
吹き出物は悲しいかな治らないけれど、化粧をする時の自分の顔が、
眼に入る光の屈折率は素人からするとそう変わらないものと思いますが、
奇麗なものになるのですよ。自分の眼を見ていると。
意識を変えて三ヶ月後くらいのことでした。
女性という性が具えている、優しさはもちろん、
美しさだったり、柔らかさだったり、寛容さだったり、
心のどこかでいつも憧れていました。
どこかでというのは、敢えて意識しないようにしていたということです。
意図せず「私は違うし、なれない」と思ってしまうからでした。
幸せという概念も、女性性とより密接しているような気がしました。
今もときどき堰を切ったように、唐突に不安で泣き出すことはあるんです。
このまま誰にも愛されないんじゃないか、
家族はちゃんといるのに、祖母がいなくなってしまったら本当に一人ぽっちだ、とか、
本気で思っている訳でもないのに涙止まらないのです。
そんなときは思い切り泣いてないて、
いつの間にか眠ってしまい、目覚めた時には不安は嘘みたいに消えているのです。
何となく眼が重たい、気持ちはだけどリセットできて
何ともない、そんな風に、
もっと自分はより良くなれる気がしてきます。