自分を大切にする大事

たしか、中学生の頃にクラスで、ブログやオリジナルサイトの立ち上げブームがありました。

 

 

周りだけに自己報告する日常ですからそうたいして面白い話題性もなく、また、テキストの世界に開示される“自分”というものにも抵抗感がありました。

 

 

ものぐさな自分の一面もあり、ほとんど続きませんでした。ブログの思い出というとそうした挫折がありましたが、

 

 

こうして書いてみると、やっぱりここの自分って何だろうって思います。素朴なギモンですね。

 

 

文章だけの世界で概念化されうる私あるいは自分を、私は他人の視点から捉えようと無自覚に試みます。

 

どう思われるだろう、

どう感じられるだろう、

 

何で気になるんだろう、私を考えてるこの私はなんだろう、

 

自分を対象化するそんな意識が不思議でした。

 

私は何て、自信の無い人間だろう人の評価ばかり気にして、と思うこともたくさんありました。

 

ブログが続かなかったのは、わき上がる自己嫌悪を嫌ったのかも知れません。

 

当時は誰に何を伝えたいの肝心の「何」がなかったけど、いま

 

私が伝えたいことって何だろうと考えると、そのひとつは

 

 

自分を大切にする大事、を伝えたいと思います。

 

 

知らなければひとりでも多くに、気づいているなら確信に変わるように、

 

かく言うこの私も、

 

 

無頓着に放棄するという意味で蔑ろに扱っていましたから、そんな自分に対する自分の態度をある人に接触したことをきっかけに自覚されたのは数ヶ月前、ですから

 

自分を大切にするって何ぞと、まだ、よく頭抱えるものです。

 

 

 

ただ、概念的に自分の性を如何に受容するかということはそれと深くリンクしていると言えて、とたえ肉体が雄雌未定だろうとも、否定しないことだけは大事ですね。

 

 

 

実感を持って思います。

 

 

 

決して悪い意味ではなくて、「性」って一生の問題だからです。

 

 

ずっと女であること不運と思っていたから、私は今

 

 

自分の性を感覚的に楽しむことが楽しくてなりませんし、

 

 

着飾ることも、子どもや動植物を愛でることも、よりよく感じられる女であって良かったとようやくこの事実に涙してから、

 

 

もしも不要に性や孤独に悩み苦しむひと在れば、一人でも少なくなればいいと心から願っています。

 

 

 

女性という性って地上の恒星なんです。